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『私刑 リンチ』(しけい りんち)は、1949年公開の日本映画。中川信夫監督、竹井諒プロダクション製作、新東宝配給、白黒映画、スタンダード・サイズ、10巻 / 2,676メートル(1時間38分)。 == 概要 == 戦前から終戦直後にかけて、一人のやくざの半生を描いた、中川信夫の戦後4作目である〔『中川信夫・フィルモグラフィーおよび年譜』、p.242〕。また、『地獄』(1960年)までつづく、中川と嵐寛寿郎のコンビ第1作でもある〔『インタビュー 全自作を語る』、p.207.〕。 嵐寛寿郎演じるやくざが足を洗おうとする戦前編と、そのやくざの組長の一人息子が復員してからの戦後編の、二部作構成になっている〔本編映画で確認〕。 GHQによる「チャンバラ禁止令」の影響下で製作されたという、嵐寛寿郎の現代劇の一本である〔『池部良 フィルモグラフィー』、p.289-p.290.〕。本作品に出演した池部良のインタビュー本を著作した志村三代子と弓桁あやは、本作品の嵐演じるやくざを「『網走番外地』シリーズをはじめとして、晩年に多数出演したやくざ映画の原点」であると指摘している〔『池部良 フィルモグラフィー』、p.289-p.290.〕。製作当時、現役のスター俳優だった嵐は、後半で老け役になる主人公ではなく、池部演じる組長の一人息子の方を演じたかったとプロデューサーの竹井諒に話していたという〔『インタビュー 全自作を語る』、p.207.〕。 メインタイトルは『私刑 リンチ』であり、本編映画の中に、清川玉枝を逆さ吊りにして棒でメッタ打ちにするというやくざの凄まじいリンチシーンが描かれているが、主人公のやくざはそれを逃れ続けて青年期から初老に至り、主役の嵐寛寿郎がリンチにかけられる場面は全編を通してない〔本編映画で確認〕。映画評論家の山根貞男は、この映画のスタイルを「あのアラカンが、一度たりともカッコよく描かれない(中略)過剰な思い入れということを強く排する醒めた目の映画」と評している〔『作品論 中川信夫のふしぎな遊びの世界へ』、p.289-290.〕。 なお、本作品は、前年の1948年に完成していたが、本作品を自主配給作品の第一弾にしようと決定した新東宝に対して東宝が協定違反を申し立て、裁判所に公開差し止めの仮処分を申請し受理されたために公開が1年遅れている。当時はまだ東宝争議後の、自社製作再開の見込みが立っていなかった東宝が新東宝製作映画を配給して公開している時期であり、東宝側の言い分としては、自社がまだ製作再開の体制が整っていない状況下で、新東宝が事前の協議もなくいきなり独立を通告してきたことが、新東宝が設立された時に東宝の親睦会社となるという協定の違反にあたるというものだった。仮処分が下されたために、本作品を配給するはずだった新東宝配給株式会社の設立も延期されたというのが、本作品の公開が延期された件の経緯である。この事件は、本作品のタイトルをとって、東宝の宣伝部内では『私刑』事件とも呼ばれている。また、東宝側から見れば、仮処分後も新東宝が自社配給をあきらめず、東宝の配給部門セールスマンや東宝系の劇場を大量に引き抜いたことに危機感を受け、砧撮影所の再開を急ぐことになったというが、新東宝側から見ると、東宝が撮影所を再開して、新東宝作品の配給を拒否したことが新東宝配給株式会社の設立を急がせたとなっている〔東宝行進曲、転の巻、『東宝、激動の戦後史』、p.173-174.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「私刑 リンチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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